割とマジで。

「明治時代から続いていて、既に日本に深く定着している」とは言っても、明治以前については、特定の身分以外は別姓どころか名字自体がないという状況が定着していた訳ですし。
もちろん、当時は名字がないといっても(場所の名前や屋号)ところのxxさんと呼ばれ方をしていたでしょうし、家族が地理的に遠方に分散するというケースが多かったかというと、確かに少々微妙で、下手すると村単位自体が家族のような状態という状態だとか、もちろん当時を見た訳ではありませんが当時と比べるには少々無理がある訳ですけど、

「それって、名字を導入することで昔からあった緩くて堅い繋がりを捨ててしまったのでは?」

と言われたところで、それを否定する同一状況の比較対象なんて記憶の範囲にない訳です。

で、「別姓が家制度や家族の繋がりを破壊するか?」というと、むしろ海外の別姓導入例での「そんなことないよ」という事が出てくる訳なのですが、また文化背景が違いますから、すべて同一に考えていいかどうか。
実際問題、「海外で成功してるから」と日本に導入したものが、全て成功しているのか?違いますよね。多分、導入するにしてもローカライズしなきゃいけないでしょうし、反対派の方が言うように「そもそもその制度が日本文化に合わない」のかもしれません。

「合わない」のなら、副作用も出てくるでしょうし、政治家が躊躇するのも判らなくはないのですが、ただ現実として現在取り巻く社会環境上、「導入しないこと」による不都合が出てきている人もいる訳で、流石にそこの手当をしないのは「憲法違反」ではないかと思うのですよ。

「今はちょっと無理」なら無理で、「一部で認められている公文書や証明書での利用を法律に明記することで全ての公文書での利用を可能にする」だとか、「旧姓等別名利用のガイドラインを作って、旧姓(または芸名)での口座開設を不正利用防止を担保した状態で解放する」だとか、代わりにやんなきゃいけない事はたっぷりあると思うのですが。