ウィキペディア曰く、休刊は1986年末との事だから、ものによっては記憶があっても良さそうな時期なのだけど、まだ小学校に入学して新聞じゃなくて他の事が楽しい頃だ。覚えていなくともなんらおかしくないよね…と、自分を正当化してみる。
なぜ、そんな話をし始めたかというと、愛媛新聞には、「日刊新愛媛」っていうライバルがいたって事。さすがに毎月のようにオマケを配ってたような拡大方法はまずかったとは思うけども、「モノで釣る」っていうのは今も新規契約の時にいろんな新聞社がやってるじゃないですか。
その手法を反省しろというのなら判るのだけど、特定の新聞社だけを取材拒否する県の神経が理解できないし、記者クラブについても同じ。どちらかの論調が偏っているのなら、その正反対の論調をする媒体があった方が情報のバランスとして良いんじゃ無いかと思うんですよ。
(愛媛県による取材拒否の理由が、同社がどう考えても報道する立場としても考えられない行動を取ったとかいう理由があるのでしたら教えて下さい。すいません、その辺の情報がないんですよ…。)
愛媛新聞が嫌いって訳でもありませんし、いろいろあるんだとは思いますが、やっぱり好敵手ってメディアにも必要な気がするんですよね。お互い元気に活動するためにも。
いくら情報発信が容易になった昨今だといっても、ニュースメディアって言える程の質と後押しして貰える支援者や読者を構築するのは、やっぱり難しい訳で、せっかくあったライバルを25年前につぶしちゃったというのは、愛媛新聞にとっても損失なんじゃないかなぁと思うんですが、当時関わってた人や当時の愛媛県関係者は思わなかったんでしょうか。
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