ニュースなどでご存じの通り、本日は世界で初めて原爆が実戦で投入された日であり、広島で平和記念(祈念?)式典がありました。
広島、長崎で実際に原爆の被害にあい、それを記憶に残されている方も減ってきていますが、実際に落とした方のパイロットについては先日、ついに一人もご存命でない状態になってしまいました。
「悲惨な事だった。だが、暴走した日本を止める為には必要な事だった」
そりゃ、落とした側はそういいますがな。という話で。
それに理由がどうであっても、大量破壊兵器な訳ですから「その後のアメリカ軍が戦闘行動を行った地域」を考えると、ちゃんと裁かなかったのはちょっと間違いだったんじゃないかなと思う次第です。もっともそれくらいで自制するような国とは思いませんけど。
半世紀すらすぎている今言ったところで「何を今更」なのですが、私もその辺の時代を知らない人間ですし、当時にリアルタイムに交渉をしていた人だって、おそらく「戦敗国がそんなこと言えるわけないじゃないか…」という状況かと思いますし。
結局、今起こっているテロや紛争だって、近代に積み重なった恨みが蓄積されたものと言っても語弊ではないと思いますし、攻撃されて身内を殺されて喜ぶ人はいないし、攻撃されるてて無防備に打たれますって宣言する人なんていないだろうって事くらいはわかります。
お釈迦様のお話に出てくるような「おなかをすかした母虎に身を捧げる」ような聖人でないことは、少なくとも自分自身についてはそうだと思いますので、おそらく自分がそのような立場に出くわした場合には身を守る行動に出るのは間違いないでしょう。ただ、時にそれが新たな恨みを生むこともあるんですよね。
本当にどうすればいいんでしょうね。「対話で解決する以外に方法はない」のは全くその通りだと思うのですが…。
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