具体的にどのようなリプライを頂いたか興味があるようでしたら、だいたい該当の記事以降のツイートを追って頂くと到達できるかと出てくると思います。まあ、それはそれで間違っちゃいないと思います。
もちろん、週刊金曜日さんのポリシーを否定したい訳でもありませんし、頑張っていただきたいと思います。
その代わり、なぜ私がこのブログでああいう記事を書いたかを、私自身の事を説明するついでに書きたいと思います。
基本的には、このブログは建前ばかりにならないように書いているつもりだし、できるだけその時の本音を書くようにしてるのだけど、ただ100%その考えかというと微妙なところ。
「過去の発言と異なっている」という所は、別にそれになにか「隠し事」をしなくてはいけないという訳ではなくて、純粋に当時と考えている所が違うって感じの部分が多いかと思うのだけど…。
それでも、誰でも見られる形式で公開している訳ですし、実際知り合いの人やたまたま同じ仕事をしたことのある人から「みたよー」と連絡を頂く事はあります。まあ、そういうみなさんの場合だと、私の性格というのをある程度をご存じですので、さほど問題にならないかとは思うのですが、いつどんな人がご覧になられているか判らない分、どちらかと言うとヘタレさんな私ですので、実際途中まで書いていても公開せずに削除するというのも割とあったりする訳です。
もちろん、それは特定の人物を中傷したり誰かの個人情報をさらしたりしている情報ではないのですが、見えない声は嬉しい反面、見えない声が非常に怖く感じる時もあるのです。
たぶん「それでも表現の自由は必要だ」と言っても議論が繋がらないだろうな…だとか、以前何度も発言している「児童ポルノ規制」の記事について「規制は無い方がいい」というのは、その怖い方の「見えない声」が増長されそうで怖いというのが私の考えの根本だったりします。
もちろん、「そこまで考えるなら書かなきゃいい」ではあるのですが、あまりにもその見えない声の恐怖に脅えすぎて、本当になにもかけなくなってしまいそうと言うのが正直怖いのです。
なので、それは法律だけの話ではなく、出版社という作家やライターさんにとって大きな力が「みせない」という行為に走ったとき、やはりそれも同様に怖いのです。
もちろん、ライターや作家のみなさんが「規制がなんだ!」と突っぱねるぐらいの精神的な強さをお持ちの方ばかりであれば、私の不安は単に私の不安でしかないのですが、実際のところどうなのでしょうか。
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