でも、表現の自由は必要だと思うんです。
週刊金曜日ニュース≫ ブログアーカイブ ≫ 無制限のポルノ出版は正当化されるのか――AV監督本復刊に抗議の声
そりゃ、その表現手法や傾向について批判する事があったっていいと思うんですよ。で、実際にその過程で犯罪が起こったのなら、またはその疑いがあるのならちゃんと議論すればいい。
実際、この監督はAV女優にケガをさせたとかいう話があるそうですが、それはそれで裁かれなければいけないとは思います。
ですが、「だから出すな」というのはまた別の話だと思うのです。
見せたくないのも当然です。許しがたいのもあるんでしょう。
ただ、それを「出さない」という事で隠してしまうのであれば、それはそれがあった事を知ることができなくなります。その事が知れる状態であってこそ、当事者以外の人はそれに対して批判できるのではないでしょうか。
もちろん、実際に撮影時に実害が出ている分としては、当然ながら反省すべきで、それなりの罪を償うべきだとは思いますが、だからといって「隠す」という事がすべて良い方向に傾くのでしょうか。
ノンフィクションで、本人の許可無く私生活を晒した?もしそうなら、被害者の今後の生活の事があるかもしれませんから、差し止められるのなら止めた方が良いですし、今後被るだろう被害の賠償請求もしなければいけないでしょう。ただ、今回はそれにあたっているのでしょうか?
実際に被害にあっていないからいいんだ。とは言うつもりはありません。ですが、ノンフィクションやルポであればそのご本人やその事象や事件についての現状を知るための重要な情報ですし、場合によっては書き手(作り手)の考え方に触れる良い機会だったりします。
フィクションの中のお話だって、サスペンスで「なぜその行為を…」という事を伝えるには、その残虐な表現を書かないと伝わらない事がありますし、そもそもその中で発生する事件だって残虐な表現と考えられるのではないでしょうか。その基準って人それぞれで、そう簡単に縛れるようなモノでもないと思うのです。
だから、悪い(と思う)事に蓋をするのではなく、「これは何故悪いと思うか」という形の議論に時間を割くべきじゃないかなと思うのです。出すなというのはその議論の機会すら無くしてしまいます。
(ただ、書店に対して「売るのなら目立たない棚に移動しろ」とかいうのであればアリだとは思います。)
もちろん、その考え方にも反論はあってしかるべきだとは思いますが、正直コワイのです。ごくごく日常の事を書こうとしている時に表現規制の話が頭によぎるような時代になりそうで。
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