(このお話は、作者の主観に基づく「フィクション」です。)
「戦争の難しいところって、その惨状が発生した後じゃないと、悲惨さを判断できないところだと思うのよ…。」
年こそ存じ上げないが、私達には「原爆ドーム」という名前でしか記憶のない、広島県産業奨励館の写真を見ながら女性は言った。
「実際、これだけ年月が経っても理解できていない人もいるでしょ?」
1945年の今日、この写真の場所に「今まで見たことのないようなバクダン」が落とされ既に、もう67年近く。この後、長崎にまた違うタイプの同種のバクダンを落とされ、日本ではそれ以降戦争というものは発生していない。あくまでも、「日本では」なのですが…。
そのエリアでは、それまでの爆撃機の襲来が少ないという事はあったにせよ、その時代空襲は日常茶飯事。もちろん、帝国軍についても敵国に対して同種の攻撃は行っていた。
この2カ所に落とされたバクダンがそれまでの他のモノと違う点。それは未だにそれに関連していると思われる死亡者を出しているという点ではないかとは思う。
「当時あの辺は安全だと考えられてたからね。ヒロシマの彼の疎開先の辺りが米軍の新型バクダンで攻撃されたって聞いたのは。弟のようにかわいがっていたから、そりゃあ恨みますよ。ただ、私はあれからまだ彼のお骨も見ていないし、その時その場にはいませんでした。他の方が怒り狂ってる中で、なにか実感がわかなくて…冷静というか…。なんと言うんでしょうか、冷酷な人間なのかなとよく悩みました。」
教科書上の話しか知らない私としてはなににたとえて良いのかよくわかりませんでした。ただ、冷酷というのはむしろその時代で、「当たり前の事」として考えられていた常識や教育の内容までががらっと変わってしまうという時代を経過する事になります。
「あの時代、狂気だったのは日本だってアメリカだって同じです。もしなにか時代が違って立場が逆だったとしても似た事がおこったのかもしれません。そればっかりは私にもわかりません。ただ、条約にも違反している大量虐殺にあたるようなバクダンを使ってしまった事は事実ですし、大切なのはこの惨劇を再び別の場所でおきないようにしっかりと検証する事じゃなかったかと私は思うんですけどね。」
「結局変わっていないんですね、日本もアメリカも。」そう私がいうと、その女性は苦笑いして軽く頷いた。
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