もちろん、言いたい事は判る。
図書館が無料で小説を貸し出すというのは税金の無駄遣いではないか
個人では購入するのを躊躇してしまうような高価な学術書や専門書、
貴重な文献や資料を保管するという意味では、図書館は大いに存在意義があると思う。
歴史教育や文化理解、研究活動の役に立つのだから、そのために税金を使うのは構わない。
それが図書館の使命だろう。
との事なので、現行の図書館の形態自体を否定されている訳出ない事も、判る。けど、そういう本と、ラノベなどに属する「娯楽本」の違いってなんなんだろう?だとかは考えた事はないですか?
増田さんが「どうもそちらの方に偏っている傾向があって、本当に必要な資料の購入が後回しになっているような気がする」というのなら、それは確かに図書館側も反省しなきゃいけない事なのかもしれません。
けど、ラノベが本当に図書館が守るべき書籍なのか?というのは、今の私達が判断するのはちょっとおこがましいのではないでしょうか。だって、その価値の基準って時代によって変わってくるものですから。
一番有名な例が浮世絵ではないかと思います。当時としてはそこまで強く価値を認識していた訳ではなく、大半が「包装紙」や梱包材として海外に流出してしまいました。その関係で、浮世絵のコレクションというと海外のものをよく聞きます。ラノベがそのような存在にならないだなんて、誰が断言できますか?少なくとも、現状としては「浮世絵と比べるなよ。そんな訳ねーじゃん!」だとは思うのですが、遠い未来どんな価値観をもった人が生まれるかなんて事までわかりません。(でも、実際そんな書籍ばかりでしょうか?私はそうは思いません。)
浮世絵の例のついでに言うと、その当時書かれた絵や文章は、例えフィクションであっても、当時の時代背景を知るために有用な資料です。
「図書館が買い支えなければ潰れるような出版社なら、遅かれ早かれ潰れる」というのも実際その通りで、図書館に大量に並ぶような書籍の出版社であっても売れなくなれば当然潰れますし、潰れると後から「歴史的価値があるから手に入れたい」と思っても手に入らなかったりする事もある訳で、「遅かれ早かれ潰れることがある」からこそ、もし手に入れられる予算的な余裕があるのなら購入しておくべきだとも考えられます。
まだそれでも、文章、イラストの作者がご存命であり、再出版しても問題がないくらいの数を捌ける見込みがあれば、他社からの復刊の見込みもありますが、作者がお亡くなりになっているなどの状況がコンボでやってくると、ほぼ絶望的だと思います。まだ原盤があればいいのですが、長く宙ぶらりんの状態が続くとそれすら残っているかどうかも微妙になるでしょう。
そうなったときに、価値を見直されてきたので揃えたいと思っても揃えられない可能性もある訳で、個人的には「集める価値がない」とは思いません。ただ、予算は限られている訳で「優先順位は先じゃないだろ?」というのであれば、まあ確かにその通りだと思います。各地の図書館で集めなくとも国会図書館にあるはずですから。(出版社が献本を怠って、一冊もないというケースもあるみたいですが…)でも、そういう書籍も含めて後世に残すのも「図書館の使命」です。
ただ、増田さんがいう「価値のある書籍」だけで、利用者が満足できるだけの資料を揃える事ができる程の予算が割り当てられているかというと、残念ながらそうでないようで、ある意味淘汰されはじめている最中かもしれません。
これ以上書くと、余計にぐちゃぐちゃの文章になりそうなので、この辺でおしまいにしておきたいと思います。
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