それでも私は表現の自由を脅かしていると思う。

アゴラ : 私は田部大輔さんの意見に反対です。 – 松本徹三

松本さんの考え方を否定するつもりはまったくもって無いのですが、ひっかかる部分が多かったので部分的に反論させていただきます。

個人的には「業界が自主規制としてそれらの表現を規制する」のは一向にかまわないと思います。ただ、実際に「ほぼ強制に通さなければいけない団体ですべて禁止にしてしまう」というのは、「弾圧」という言葉はつかわれて仕方がない事であり、なにも大げさな事ではないと思うのです。



もちろん、誰でもわかるような明確な線引きができるのであれば、それでもいいのかもしれませんが、表現の世界はそんな簡単ではなく、だからこそいろんな映画があったりいろんな漫画があったり、いろんなゲームがあったりするわけです。
その上、既にあるはずの線引きでもしばしば「アウト」だとか「セーフ」とか議論になりますよね。性暴力的な映像やゲームソフトに限らず、ごくごく一般的な事柄でも。

では、その「アウト」とか「セーフ」の基準ってどこにあるんでしょう?そのときのご時世に影響する部分もあるでしょうし、もちろん松本さん、田部さん、わたし後藤も含め、各自の心の中にあって、それぞれ違うと思うのです。
(おそらく、私自身の基準は田部さんに近いと思います。…記事を読んだ限りではですが…)

「私自身にとっては、性暴力的な映像やゲームソフトの存在は不快であり….」というのは松本さんの基準であり、もちろんそれを否定するつもりはありません。ただそれが具体的にどの表現までがその範囲に該当するかって明確に定義できる自信はおありでしょうか?….それはおそらく無理だと思います。

性暴力的な表現でなくとも、それに近い表現じゃないかと思われる部分が書いている最中に出てくる事はないのか、大丈夫な表現だと思って書いていたものがその表現と判断されてしまわないのか。そんな不安を抱えた状態で満足な創作活動ができるのでしょうか?明確にルールが決められない表現という世界である以上、まぎれもなく「表現の自由の制限」以外のなにものでもないと思うのです。
「芸術や哲学の範疇に入るもの」なんて、その最たるものではないでしょうか?

殺人などの犯罪は、「それはしてはいけない」という事が周知されている事でたしかに強姦や陵辱を題材にしているものと違うと思います。
だからこそ、まずやるべき事は不毛な表現規制ではなく、「強姦や陵辱などの性的暴力は卑劣でやってはいけない事」と認識しきれていないであろう年齢、性格の人が手に入れる事ができないような「販売時の年齢、身元確認」などの販売、頒布方法の規制ではないのでしょうか?

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コメント

  1. 目につけられやすいという点はたしかにあるかも….だからこそ。
    アゴラ : 「ソフ倫」の自主規制問題についての再論 – 松本徹三
    この前の記事も、取り上げさせてもらったのですが、
    さすがに比較対象にしてしまうと、手塚先生に怒られてしまうのかもしれませんが、漫画が一般に定着し始めたころの、「まんがはおやつ」論が浮かんできて….

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