木嶋被告の死刑判決について思った事

やっぱりなぁ…と思いました。
「妥当ですね」という意味でなくて、裁判員制度になってもかわんないな…と言う事。
木嶋被告に死刑判決、殺害を認定 さいたま地裁「虚飾の生活維持」(共同通信) – livedoor ニュース

もちろん、そのその行為自体は許されたものでもないし、彼女の行動を肯定するわけではないのですが、間接証拠に頼りすぎだという事がどうも問題かと。



まず、テレビが「同じ偶然が3つ重なることはまずありえない」という事がですが、実際そうなのかもしれませんが、本当に偶然が重なることがないかを調べて、「これはどう考えても偶然だっていうのは無茶でしょ?」というのを証明するのが警察や検察の仕事であり、それがないのなら「最悪な事に同じ偶然が3つ重なってしまった」と考えるのが筋だと思うのです。

この裁判でしたよね?たとえとして「たとえ雪が降って積もっているところを見ていなくとも、寝る前になにも無かったのに、朝積もっていれば、それは夜の間に雪が積もったと推認できる」という感じの事を言ったこと。
でも、その場合疑わなきゃいけないのは、「本当に夜中にトラックで雪を運んできた形跡がないかどうか」「雪は本当に雨(水分)が主成分だったか(人工降雪機を持ち込んでいないか)」という事が証明できた上での事。

まあ、確かに「使用した練炭がすべて被告の購入したものがそうだった」というのがそれに相当するものだと言えるのかもしれませんが、ただそれは検察のさきほどの例えに則ってたとえると、「そこにある雪が天然の雪である事は確認しています」という部分だけの話ですし、まだトラックで持ち込んできたものではないという証明はできていません。

もっとも、私がニュース経由の情報で聞き漏らしがあったり、そもそもニュースに流れていないなどの理由で知ってない部分にそのような事があるのかもしれません。
もちろん事実であれば、それはそれなりの罪を受けてもらわないといけません。遺族家族の悲しみも相当もものだとは思います。ですが、だからこそ中途半端な事をやってはいけないんじゃないでしょうか。
そんな中途半端な状態で、そのような判断を裁判員にさせてはいけないんじゃないでしょうか。

本当に後味の悪いニュースです。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Translate »