1945.8.9

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(このお話は、作者の主観に基づく「フィクション」です。)

「確かに、アメリカの言うとおり、戦争を終わらせる為の重要な要素だったかもしれません。実際、それだけクレイジーだったんですから。…特に上層部はね…。」




「なにか広島にとてつもないバクダンが落ちたって聞いたんだけども…。」

何気ない話のつもりで言った言葉で、目の前の友人の形相が変わった。

「…おまえはお国よりも、そんな根も葉もない噂を信じるのか!第一、我が帝国は優位にこの戦争を進めているじゃないか!日本の為に戦地で戦っている皆さんに失礼だとは思わないか!」

もちろん、世間的には日本国優勢って話だった。ただ、昨今の状態と言えば非常に不自然だった。通常、健康状態などが思わしくない男子についてや、学生については徴兵が免除されたり延長されていた。もちろん、範囲を広げることで人が足りなくなっているのは事実なのかもしれないけども、普通に考えて前者なんかは「戦地に行ったって、足手まといになりかねない」と考えるのが普通だ。

…いけないいけない。そんなコト考えてるのがばれたら、特高警察行きだ。でも、おかしな話。この戦争が始まっていた頃に優秀な戦績を新聞より先に行って回ってたあの新聞記者のおじさんの勢いがものすごく弱かった。

「…すまん。熱くなっちまって。空襲は激しくなっている一方だしな。ただ、それに対する対応をしたって報道がないのだから、その普段の空襲の規模の中の一つじゃないのか?」

普段通り…などというと、平和な今では想像もつかないだろうけども、空襲警報というのは割と日常的な話でした。

「でも、母もなにか気にしてるようでね。母と一緒に長崎の知り合いの所に疎開する事になったんだ。」

戦争が落ち着いたらまたあうことを約束して、それがちょうど67年前の8/7。そのあと長崎市に無事に着いたという手紙を受け取ったきり、連絡をもらっていない。

偶然なのか、その手紙が届いたのが、消印こそ9日だったけど、広島と長崎に落ちた新型爆弾による情報が解禁された11日。正直なにがなんだかわからなかった。

「実際、それで戦争が終わったのだから、それ以外に戦争を終わらせる方法がなかったのかという事は正直誰も判らないと思う。けど、まだどんな効果があるかどうかも見当がつかないようなバクダンである必要が本当にあったのかな?というのは未だに思うし…でも、誰も説明をしてくれない。ルーズベルトだって、トルーマンだって、昭和天皇だって。…オバマや野田だってそうだよな?」

ただ、一つ分かる事は、その「友達」からは今年も手紙が来ることがないだろうという事だけ。

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