「そういう時代なんですよ」という訳ではなくて。

なにげにひとりごと

高校生が自殺! 体罰を容認できますか? というテーマなのですけども…
「容認できますか?」と聞かれると、出来るわけないですよ。そりゃあ。

けど、それよりも気になるのは次の点。
時事ドットコム:「体罰一掃」を約束=責任問う声、「愛情あれば」も-保護者説明会3時間・桜宮高(リンク切れ)

 説明会は午後7時から3時間、非公開で行われた。校長によると、保護者328人が出席し、冒頭で黙とう。各部の顧問が「体罰一掃」を約束したが、バスケ部顧問は自宅謹慎中のため出席しなかった。

意見の賛否は別にして、自宅謹慎中とはいえ、その場に出てこない顧問に対して擁護の必要があるのかどうかは正直疑問な気はします。安全性の関係で出てきてくれるなという事なのかも知れませんし、実際それも暴論の範疇だとは思うのですが。



体罰の話をすると、「今の若者は、そういう事したって効果ないんですよ?」という形で否定する人もたまに居たりします。けど、そういう発言が一番嫌いです。

だって、昔から生徒と相互理解が成立していない状態であれば、単なる暴力でしかないし、座禅のようなケースを除いて、相互理解が成立しているケースなら、それは道を反れそうになった時に、自分の教師としての身分を賭した最終手段なのではと思うからです。
「それでも良い先生だったよ?」と言うか方のその言葉は偽りではないのだとは思います。ただ、その一方でトラウマになっている人もいるんじゃないでしょうか。それだけに、日常の手段としては使ってはいけないと思いますし、本当に良い先生はその辺理解されているのではないのでしょうか。少なくとも私の学生時代にお世話になった先生はそうであったのではないかと思っています。

あと、座禅はあくまでも精神修行な訳ですから、与えるのは罰であって怪我や心に傷をつける事のないように十分に注意しているはずです。
そういう意味で、「指導としての体罰は成立するのか?」という話は出てくるのでしょうが、少なくともこの件については体罰の域を出て、単なる暴力事件なのではないかと思うのです。

正直なところ、学生時代の記憶時代が一番新しいものでも十うん年前ですので、その頃の記憶も含め頭の整理がついていません。それ故に明日には全く正反対の事を言っている可能性もあるやもしれません。

(2013/1/13 17:30 ちょっと、「体罰容認派を完璧に論破する~」的な記事がちょこっと気になったので以下に追記。)
一応断っておきたいのですが、別に「体罰と言う名の暴力に認められる部分はあるんじゃないか?」と思っている訳ではなく、私の頭の中で「体罰だ」と分類されている部分に関してはあり得ないとは思っているのですが、「それは事前に交わした約束を守らなかった事に対するペナルティではないのですか?」と思う事も体罰の一つとして扱っている方もいらっしゃるようですので、若干混乱しているという次第です。具体的に何のことかというのはまた、それも議論が割れそうなので(今回はそこまで話したくないので)止めておこうかと思います。
(ただ、ペナルティのつもりであっても相手との約束を交わすときの合意事項でない場合であったり、合意事項であっても、威圧的な態度で断れない状況を作っていた場合にはそもそも無効で、暴力事件扱いで構わないかと思います。)
あと一方で、特定の生徒が他の生徒に危害を加えようとしているケースで、先生自身や他の生徒を守るための「正当防衛」的な行為に関しても、ありますしそれも端から見ると体罰とさして変わらない部分があるとお伺いしますので、そういう意味合いでも全体を否定できないという面が強かったりします。無論、そういうケースは躊躇わず刑事事件にしてしまえば良いと思うのですが…。

なので、体罰容認論を完璧に論破できる12のQ&Aの内容には概ね同意しますし、確かにあたりまえなのだとは思いますが、世の中そんなに単純じゃないような気がします。
私自身、良い大人ではないと思うので、おそらくそう簡単にそのモヤモヤは晴れないような気がします。

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