今日の広島の「原爆の日」。確か去年は「ある女性の話」という設定のお話しを書いたんですよね。
ただ、反省点としては「中立」ではあるけど、うっすらと怒りを見せている描写を入れられなかった事。まあ、書き換えようと思えば書き換えられるのだけど、タイプミスの修正程度しか弄ってはありません。
今年はずーっとどうしようかって考えてたんですが、気がつくとその日になっちゃいまして。当時はと言えば(不利な情報はちゃんと検閲でカットされていたから)疑いも持たず、ずっと勝ち進んでいると思っていた人もいるし、制限されている情報の中で「善戦してる割には、この状況はおかしいな」と内心疑ってかかっている人はいたんだと思います(というかどちらも居たようですね。)
いくら年月がたっているからといって、みんながみんな中立な判断を下せるような状態になっている訳もなくって、その話になったらいつでもケンカ状態になりますよって人が居たってよさそうな気がする。むしろ居ると考える方が自然で、それを無かった事にする事自体変だと思う。けど…。
去年の終戦記念日にも似たような事書いた気もするけど「実際あったことなのだから、忠実に書かなきゃ」というのは、半分わかるのだけどあくまでも残っているのは「たくさんの伝聞の中の一部分」。たぶんそれだけが当時を生きた人の感覚じゃないだろうなぁというのと、如何せん年月がたちすぎた。事実を180度曲げるような方向転換は反対だけども、ただそれでも純粋に史実や伝聞を伝えたところでピンとこない事が多い訳で、フィクションの力を借りてどう橋渡しできるか。そこなんだけど、なんというか…。
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